[一]
この夏、わたしは5日間にわたってある小学校で「金利計算」「保険」などの授業をし、生徒の保護者にも、お小遣いのアンケートをお願いした。その結果、毎月お小遣いをあげている家庭は全体の60%という数字が出た。
こうしたデータから、お小遣いをあげることの意味が、昔と大きく違っていることがわかる。私が小学生のころ、キティちゃんの消しゴムがほしくて、アイスクリームを買うのをがまんしたものだ。そういった身近な学用品や自分が好きな物を買うのが、お小遣いの意味だった。
( ア )、今の子どもは、日用品のすべてを必要なときに親からお金をもらって買っている。なかには自分で買い物に行ったことのない生徒もいるほどだ。当然、物の値段に実感がない。鉛筆や消しゴムの値段を聞いてみたが、ほとんどの生徒は答えられなかった。
買い物経験の乏しさは、ほしいものを書き出すという授業にも影響した。ほとんどの生徒が、最初は「特にほしいものがない」とペンを止めてしまった。「何でもいいから書いてごらん」と促す、「一戸建ての家」とか「車」「世界一周のチケット」など、日常生活とかけ離れた回答を書く生徒が多かった。
「新しい筆箱とか、かっこいい運動靴とかほしくないの」と聞いても、たいていの生徒は「いくつも持っているからいらない」と興味なさそうな返答。そもそもそういう店に足を運ばないので、どんな物を売っていて、いくらなのかイメージが湧かなかったようだ。一ヶ月のお小遣い計画を立てさせても、書けた生徒は一人もいなかった。ところが、一ヶ月2000円のお小遣いをもらっているという想定で、ほしい物を買うのにどう計画を立てたらいいかを計算させたところ、全員が実にすらすらと答えた。決して計算ができないわけではない。
保護者アンケートのなかに「必要なもの、ほしい物を買うよう、お小遣いをあげても子どもは全て貯金します。学用品やおかしは私が買っています。このままではお小遣いの意味が違うのではないかと考えてしまいます」というコメントがあった。まさに今のお小遣い事情を象徴している内容だろう。
20、30代になっても親に頼る子どもが増えているのも、お金の面で親に依存する体質からぬけられないからだ。親元にいれば、生活費の心配をする必要もなく、自分の収入は自由に使える。「限りあるお金のなかでやりくりして暮らす」能力が育たないまま、大人になった結果ともいえる。
もしかしたら親の方が、子どもたちの学ぶ機会の芽を摘んでいるのではないだろうか。治安の悪さから買い物へ行かせない、無駄づかいをさせたくないからお金を与えないといった「べからず主義」をやめ、もう少し放任する勇気をもつべきだと感じた5日間だった。
文中の( ア )に入れるものはどれか。